銭湯にて

何十年ぶりかで銭湯へ行った。突如、給湯器が壊れてしまったのだ。そして、給湯器は今、品薄の状態。何箇所かにあたっているが、4月まで待たなければいけない可能性がある。

さて、柏原に引っ越して21年。地元の銭湯で入浴するのは初めてだ。これまで地域とは積極的に関わってこなかった。田舎だし、私個人にとって必要なものはほとんど市外にあるということも一つの理由ではある。地元の銭湯の湯に浸かることで、ようやく地域社会に溶け込めるかのような感覚を持ってのれんをくぐった。

490円。学生時代とくらべれば、随分値上がりしたものだ。番台で小銭を払い、脱衣所で服を脱いで、浴場のガラス戸を開けた。

昼間の銭湯は高齢者が多い。多いと言っても昼間の銭湯だ。私と同じか、もうちょっと下の世代も1人いて、それを含めても客は全部で6人か7人ぐらいのものだったが…。

こういうことでもなければ、親類縁者以外の高齢者と呼ばれる人たちと、こんなに近い距離で接することはほぼない。

カランの列の空いたところに居場所を決めて、身体を洗い始める。

自分が住む街の銭湯に入ったのは、学生時代以来だが、その思い出よりも先に、はるか昔のつまらない記憶が突如として現れた。

ほんまにしょうもない話なのだが…

幼少の頃、農家の家に間借りして住んでいた時期がある(別に貧乏自慢をしたいわけではない。昭和40年代なんて言うのはそういう時代だったのではないかと思う)。だが、風呂は母屋とは離れた場所にあって、自由に入ることができた。なぜ、あの時、銭湯に行くことになったのか、今では謎だ。当時我々が入っていた家風呂は五右衛門風呂で、毎日、父親と薪割りをして風呂を焚いていた。だから、給湯器や釜が壊れるなどして、家風呂が使えなくなったわけではないと思う。いや、あるいは、その家に間借りする前の記憶だったのかもしれない。

それでつまらない話というのは、その銭湯の浴槽に浸かっていた時の記憶だ。

なんのことはない、その時、なぜか私はあるアニメのキャラクターのプラスチック製の貯金箱を握りしめて風呂に入っていた。カバのような架空の生き物。それが好きだったことは覚えているが、なぜそんなものを持って銭湯の湯に浸かっていたのだろうか。貯金箱なので、穴が空いている。小銭を入れるために拵えられた穴。通常は閉めているが、小銭を取り出すための蓋付きの穴。そういったもので風呂に浸かりながら、お湯を汲んだり、ひっくり返したりして遊ぶのが好きだったのか。いくら貧乏とはいえ、他にも遊ぶものはあったように思うのだが違ったのだろうか。なんとなく、そこにたどり着くまでの間に、どこかで買ってもらったような気もするが、定かではない。今更確認することもできまい。

そんなことを考えていたら、いきなり隣からお湯が降ってきた。ちらりと目をやると、おじいさんが立ったままで頭から湯をかぶっている。

「じいさん、そりゃあそうなるよ」と心の中で悪態を吐く心の狭さに我ながらうんざりする。同時に10年後、20年後の自分の姿をもそこに見る。そして、地域社会に触れるということはそういうことなのかもしれないと、またも思考は思いもしない方向に飛んでいく。

普段仕事を中心に生活していると、接する人は、20代前半から50代までと層が決まってくる。もっと上の世代と言うと、経営者層だから、自分に重ねて想像できるような対象ではない。ああいう貫禄と言うか、人間的な魅力を備えることができるとは到底思えない。サラリーマンを辞めた身としては、現役を引退する人と出会うこともなくなった。そうなったことで失われる想像力はあるかもしれない。もちろん人にもよるだろうが。

地域社会には、いろいろな人が活動している。年齢も多様だし、職業も多様。そういう多様な人達と関わることは煩わしい。そんな風に思って生きてきた。誰にも頼ることができないフリーランスなので、死ぬ寸前まで働くつもりだが、現実としてそんなことができるはずもない。その現実からも私は目を背けて生きているのだということを痛感した。

思えば、幹線道路や鉄道などの交通網が整備されて、核家族化が進行し、通信網が発達していったことで、地域社会がどんどん壊れて、それとともに人間社会からは寛容さというものが失われてしまったように思う。

風呂に浸かりながらそんなことを考えて、何気なく隣を見たら背中に入れ墨を入れた坊主頭のおっちゃん。私よりはだいぶ高齢のはずだ。じろじろ見るわけにもいかないので一瞬、見ただけだが、おっちゃんというよりもおじいちゃんといった方が良いかもしれない。東八郎によく似ていた。

この銭湯は入れ墨をしていても入れる銭湯かと認識する。だからといって特に抵抗はない。京都に住んでいた当時、祇園会館でオールナイトで映画を見た帰りに桜湯(という名前だったかな)で風呂に浸かってから下宿に帰ったことがある。下宿の近くの銭湯に入れず、翌朝、河原町のバイト先に行く前に入りに言ったような記憶もある。あの銭湯でもよくその筋の人を見かけたが、その筋の人たちが、何か迷惑行為をしているのを見たことはないから、入れ墨が入っている人は入っちゃだめというルールはなんだか、寛容さが失われた一つの例に思える。地域社会にはそういう人も少なからず存在するわけで、異分子は何でもかんでも排除するという風潮とともに、おおらかさが消え、人間が生きづらい世の中が出来上がったのではないかと思う。

まあ、何十年も自分が住む地域社会から目を背けて生きてきておいて無責任なことを言うもんだと呆れながら脱衣場に出た。

何日か、何週間か、何ヶ月かはわからぬが、しばらくはこんな日が続く。テレビをつければコロナの話題ばかりでうんざりしているから言いたくはないが、給湯器不足もコロナ禍のせいだそうだ。特にマンション用の給湯器不足が顕著らしい。10年以上、交換していない家庭は気を付けた方が良いですよと、そういうことが言いたかっただけなのにこんなに長くなってしまった。